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精子が無力な男のダークサイド不妊治療記

自分が精子無力症かつ乏精子症で妻は軽い子宮内膜症。妻には内緒でダークサイトに落ちた自分をさらけ出す。暗い内容ばっかりなので明るく朗らかに妊活したい人は見ないでください

不妊と戦国・江戸時代

裏技・知識

自分が男性不妊だと知った時、自分のせいで子供ができないという事実に心苦しさを感じる人いるんじゃないでしょうか?自分はそうです。
そこでちょっと心がラクになる知識。


自分は戦国時代が好きで、よく気になった武将を調べるのですが、そうすると一定数の割合で必ず子供ができない武将が出てきます。

 
あの時代は一夫多妻で側室も持てたはずですから、それで子供がいないというのは男性不妊以外に考えられないんじゃないかと思ってました。
 
それ以外にも正室には子供がいないけど側室にはいるとかだと正室に原因があったのかなーなど、今まで考えてもいなかった視点で戦国時代を見るようになりました。
 
有名どころで言えば豊臣秀吉
正室のねねとの間には子供がおらず、女遊びが好きだったにもかかわらず子供はいませんでした。ところが淀殿との間にだけは二人も子供ができました。当時の秀吉は50代。
個人的には実の子供だったのか怪しいと思っています。
 
上杉景勝
先代の上杉謙信にも子供はいませんが、謙信はそもそも妻がおりませんでした。すごく珍しいですね。そしてその甥っ子の景勝ですが、こちらは正室がおりましたが長らく子供はできず、景勝40代の時に側室とり、すぐに子供ができます。
おそらく正室に不妊の因子があったんだろうと推測できます。
 
徳川家
江戸幕府を開いた徳川家ですが、4代将軍 徳川家綱は実子に恵まれず、弟の綱吉を養子にして後を継がせました。しかし後を継いだ綱吉もようやく産まれた男子が夭折し、その後は子供はできませんでした。そして一族から養子を取り存続させています。
その後も何度か後継問題が起こっています。将軍職はストレスが大きいのか若くして亡くなる人も多く、その分後継問題も出やすかったのでしょう。
 
黒田藩
2015年に大河ドラマだった黒田官兵衛ですが、その後の子孫、5代藩主 黒田宣政に実子ができず、黒田家の血筋は断絶してしまいます。藩は養子をとって存続しています。
 
秋田藩
初代藩主 佐竹義宣は実子が恵まれず甥っ子を養子にして後を継がせています。
正室・側室合わせて3人いたので男性不妊と推測されます。
その後の五代藩主にも実子がおらず、分家から養子を取っています。
余談ですが、秋田県知事の佐竹敬久さんはその分家のご出身です。
 
長州藩
毛利元就を祖とし、幕末の中心となる長州藩ですが、4代藩主 毛利吉広は実子ができぬまま35歳の若さで亡くなり、分家から養子を迎えています。

このように江戸時代に藩として残った戦国大名達ですが、ほとんどの藩が何代目かで実子に恵まれず、養子をとって存続させるか、後継問題が起きて改易・減封となっています。
当時は側室もいたでしょうから、それでも後継に恵まれないというのはやはり男性不妊なんじゃないかなと推測できます。
この状況を見て感じたことは、何世代に一度は必ず不妊因子を持った男が出てくるということです。遺伝子的な問題ですのでなぜかはよくわかりませんが、自分がこうなったのも何か意味があったのだ、と思いたいです。
 
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